ルース・ベイダー・ギンズバーグ Ruth Bader Ginsburg - アメリカの法律家
ルース・ベイダー・ギンズバーグ Ruth Bader Ginsburg - アメリカの法律家
ルース・ベイダー・ギンズバーグ(Ruth Bader Ginsburg、1933年3月15日 - 2020年9月18日)は、アメリカ合衆国の法律家。1993年にビル・クリントン大統領に指名されてから死去するまで27年間にわたって連邦最高裁判事(陪席判事)の座にあり、特に性差別の撤廃などを求めるリベラル派判事の代表的存在としてアメリカ社会で大きな影響力を持った。(Wikipediaより)
映画『RBG 最強の85才』を観ました。とてもおもしろかった!
印象に残っていることを書きます。
ルースが母親か繰り返し聞かされていたことはふたつ。
ひとつは「淑女であれ」。
それは怒りなどの不毛な感情に流されるなということ。怒らずに冷静に議論できたのは彼女の強みかと思います。孫にも「議論に勝つには怒鳴らないこと」と言っています。
もうひとつは「自立せよ」。
母親から繰り返し言われることはなぜか守ってしまいますよね。
コーネル大学を卒業してからマーティン・ギンズバーグと結婚して、子どもが生まれたというルースですが、夫が通うハーバード・ロースクールに進学します。当時、男子が500人で女子が9人しかいなかったそう。
(ルースの孫(女性)がハーバード・ロースクールの卒業の写真をルースに見せて男女比が同じになるのに200年かかった、と言っていました(男女比が同じになったってすごい! 孫はルースをバビーと呼んでいた。イディッシュで祖母の意味だそう)。
ハーバード・ロースクールで勉強しているとき、夫が癌を患ってしまいます。ルースは自分の勉強+夫の勉強の手伝い+2歳の子の世話と大忙しで2時間しか寝ることができませんでした。16時までベビーシッターに子どもの面倒を見てもらっている間に大学で勉強に集中し、16時以降は子どもが寝るまで子どもと一緒に遊んだりしたのですが、それが息抜きになり、優秀な成績をおさめるのに役に立ったというようなことを言っています。すごすぎますね!
幸いマーティンは病気が治り、卒業後ニューヨークの法律事務所で働くことになります。ルースはニューヨークのコロンビア・ロースクールに編入して卒業したのですが、当時、女性を雇う法律事務所はなかったそうです。
けれども男女平等の動きなどもあり、ルースは性差別の訴訟などに関わるようになり、出世してワシントンで働くことになります。
マーティンはとても有能で成功していて、ニューヨークでは税務に関しては一番と言われたりしたほどだったのですが、ルースについていきました。
ルースの言葉がとても印象的です。
「夫は自分の能力に自信がありました。自分に満足しているので私を脅威に感じることはなかった」
「マーティンとの出会いは人生で一番の幸運でした」
ルースは実績を残し、ついには当時のアメリカ大統領のクリントン氏が最高裁判事を決めるときの候補者となります。しかしながら23番目という程度の候補者で期待されていなかったのです。
ルースは自己主張をしない控えめな人物ですが、マーティンは違いました。妻を深く愛し、法律家として非常に高く評価していたので、ルースを応援するための人のリストを作り、コンタクトして一番に押し上げました。
そしてついにルースは107人目のアメリカ合衆国最高裁判事に指名されたのです。そして2020年9月18日に亡くなるまで27年間にわたって多くの実績を残しました。
マーティンは死ぬまでルースだけを深く愛しました。私は「なんてロマンティックなんだろう」とルースをうらやましく思っています。
他にはNotorious B.I.G.というラッパーをもじったNotorious R.B.G.というブログが人気となって、ラッパーのアイテムを使ったコラ画像があったり、コメディアンがルースを真似したりしていますが、怒ったりせずに笑って見ている様子も人間としてできた人という感じで、私はとても大好きです。
映画、私は二度観ました。評価も高いので気になった方はぜひご覧ください。