イスラエル・ユダヤ情報

日本人に役立ちそうなイスラエルやユダヤ人に関する情報を発信します

ヴィクトール・エミール・フランクル Viktor Emil Frankl

こんにちは! 星野陽子です(自己紹介)。

 

ユダヤ人心理学者で精神科医、『夜と霧』の著者のヴィクトール・エミール・フランクルは、1905年にウィーンで生まれました。

20歳になるまでに、すでに心理学を勉強し、心理学者で精神科医ジークムント・フロイトと連絡を取り合っていました。勉強を進めるうちにアルフレッド・アドラーにも師事しました。

ウィーン大学では神経学と精神医学の研究をし、卒業後は大学で教えたり、病院で医師として働いたりしました。

フランクルは、ウィーンでフロイトアドラーに続く、心理学の3番目の学派となりました(3人ともユダヤ人ですね!)。


1938年、ナチス・ドイツオーストリアを併合し、1942年にはフランクルは1941年に結婚した妻や両親など家族とともに強制収容所に入れられました。

 

家族は亡くなりましたが、フランクルは生き延びて1945年に米軍により解放されました。

 

強制収容所での体験に基づいて『夜と霧』(Man's Search for Meaning)を書きましたが、その本は現在も世界中でベストセラーとなっています。

 

その後、ウィーンの精神科病院に勤務し、1947年には再婚をします。子どもたちにも恵まれ、多くの研究をし、39冊の著作を残し、1997年に亡くなりました。

(写真はThe Viktor Frankl Instituteからお借りしました)

 

フランクルの一生を多くの写真とともに紹介している動画を見つけました。

youtu.be

 

フランクルが話している動画は、The Viktor Frankl Instituteのページで視聴することができます。

VFI – Clips from the Archives

 

 

【本】『夜と霧』ヴィクトール・フランクル著

こんにちは! 星野陽子です(自己紹介)。

 

『夜と霧』はナチス強制収容所を経験した、精神科医ヴィクトール・フランクルによって書かれた本です。

 

死と隣り合わせで、極限状態にいたユダヤ人が何をし何を考えていたのか。いろいろと考えさせられます。

 

収容所で過酷な日々を送っていた人達の中には自殺をする人達もいました。 けれども愛する人とか、やりかけの仕事が待っている人は、その責任から「生きることを降りられない」のだそうです。 愛する人とか、ミッションを持っている人はそういう意味でも強いのです。

 

名著ですので、ぜひ読んでみてください。

 

 

hoshino-yoko.hatenablog.com

 

SHAVUOT シャブオット(トーラーの祝祭)

 

こんにちは! 星野陽子です(自己紹介)。

 

2022年のSHAVUOT(シャブオット)は6月4日の夕方に始まり、6月6日の夜に終わりました。

 

シャブオットとは? Wikipediaから引用します。

シャブオット(シャヴーオート:ヘブライ語: שבועות)の祭りとは、トーラーの祝祭で、過越、仮庵の祭とともに三巡礼祭の一つ。太陽暦で5月または6月に行われる。ザドク暦第三のホデシュの15日に行われる祭りで、名は「週」を表すシャヴーア"שבוע"の女性複数形に由来。 イスラエルの民が紅海を渡ってファラオを退けてから50日を数えてシナイ山に神 יהוה(ヤハウェ)が降臨したことを記念している。労働が禁じられる聖会の日であり、タナハの学習が行われる。 元は大麦の刈り入れ時期が終わり、小麦の刈り入れを祝う祭りだった。大麦の初穂をささげる「初穂の祭り」から50日目に行なわれるため、五旬節(ギリシア語でペンテコステ)とか七週の祭りとか呼ばれる(いのちのことば社「新聖書辞典」より)。新約聖書中のペンテコステ(五旬節)と同一。

 

シナイ山モーセ十戒を授かったことの記念が、小麦の収穫を祝う祭りと重なったもののようです。

 

シナゴーグでラビから十戒を学んだり、家族で食事をしたりして過ごす人が多いかと思います。

 

東京都内のラビから東京都内のユダヤ人に送ってきたものをいただきました。

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カール・マルクス Karl Marx

こんにちは! 星野陽子です(自己紹介)。

 

ユダヤ系ドイツ人のカール・マルクス(1818年~1883年)。

ja.wikipedia.org

 

カール・マルクスは1818年、当時プロイセン王国領であったトリーアに生まれました。父はユダヤ教のラビで弁護士であったハインリヒ・マルクスで、母はオランダ出身のユダヤ人、ヘンリエッテ(Henriette)(旧姓プレスブルク(Presburg))

 

マルクス家は代々ユダヤ教のラビでした。父ハインリヒは、ユダヤ名がヒルシェルだったのですが、自由主義者であり宗教にこだわりを持たず、トリーアがプロイセン領になったことでユダヤ教徒が公職から排除されるようになったことを懸念しロイセン国教であるプロテスタントに改宗して「ハインリヒ」の洗礼名を受けました。

 

母方のプレスブルク家は数世紀前にオランダへ移民したユダヤ人家系であり、やはり代々ラビを務めていました。彼女は夫が改宗した際には改宗せず、マルクスら生まれてきた子供たちもユダヤ教会に籍を入れさせました。叔父はフィリップスの創業者の祖父リオン・フィリップスでマルクスの財政援助者でもありました。

 

マルクスが書いた『資本論』は有名な本ですが、難解なことで知られています。

なので、私はNHK100分de名著の『資本論』を読みました。

マルクス共産主義」と、学校で習った気がしますが、マルクスの思考はそんなに簡単に括れないようです。

 

資本論』第一巻の初版が刊行されたのは、一八六七年。当時、人々の暮らしを激変させていた「資本主義」のメカニズムを徹底的に解析し、その矛盾や限界を明らかにした名著です。


世界の富豪トップ26人の資産総額が地球上の人口の半分の資産に匹敵するというような「格差」は「資本主義」の問題であるのでは?と考える人が多くなってきました。

 

マルクスは「共産主義」や「社会主義」という言葉をほとんど使っておらず、使っていたのは「アソシエーション」という言葉だそうです。資本主義の問題を解決するには、まずは、生産性を上げて富を得る資本家から、アソシエーションを作って生活を守るべきなのだろう、と思いました。

 

マルクスの執筆は多岐にわたっていて、しかもとても深い。マルクスの研究を多くの人達が熱心にするのが理解できました。

 

マルクスのお墓の写真は毎日新聞の記事で見ることができます。

mainichi.jp

なぜユダヤ人に成功者が多いのか

こんにちは! 星野陽子です(自己紹介)。

本当にユダヤ人にお金持ちが多いのか

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(イスラエルのお金、シェケルです)

 

先日、数年ぶりにイスラエルに一時帰国した元夫と電話で話したときに、

イスラエルは景気いいの? 人口も増えているし、スタートアップもたくさん生まれているみたいだけど」

と聞くと

「いや~、一般の人たちは貧しいよ。物価が高いし、生活が厳しいという人が多い。貧困率だって高い。ユダヤ人は成功している人が多いとか、お金持ちが多いとか、そう言われることもあるけど、格差が激しいという感じかな。多くの人は貧しい」

と言っていました。

 

2020年のOECD加盟国の貧困率(poverty rate)でイスラエルは6位ですね。

イスラエルは防衛費が膨大で、国民は高い税金を支払わなくてはなりません。また、世界中から帰還するユダヤ人を移民として受け入れているので、受け入れのコストなども大きいかもしれません。

 

ユダヤ人全員が成功者でお金持ちでないのは確かです。しかしながら、世界的に有名なユダヤ人はその人口の割合に比べて多いのは事実ではないでしょうか。大きな成功をおさめたユダヤ人が、どうして成功したのかを考えてみます。

成功している(した)ユダヤ人が多い理由

ユダヤ人は神から「よりよい世界をつくる」という使命を授けられたから

多くの人は、ある程度の成功(お金や地位など)を達成すれば、それで満足するのではないでしょうか。つまり、「世界」までの視野を持っていなかったり、それほど大きな夢を描いていないのでは?と思います。

 

・成功することやお金持ちになることにネガティブな気持ちがない

「お金持ちは嫌な奴だ」とか「お金持ちになると不幸になる」という気持ちがないから。日本人の多くは「出る杭は打たれる。そこそこで満足しよう」と思うのではないでしょうか。イスラエルアメリカでは成功者やお金持ちを素直に尊敬します。不動産で成功した義父のところにも、話を聞きにくる人たちがたくさんいました。

 

ユダヤ人は、金銭をきたないものとしてみない。それどころか、金銭は神から授かる大いなる祝福であると考えている。だから、ユダヤ人は地上において大きな富を積み上げることを、人生の理想としてきた。このことが、ユダヤ人が他の民族よりも突出して、数多くの大成功者を生み出す根源となっている。

              『富と成功の秘訣 ユダヤ5000年の叡智』より引用

 

・変化を怖がらない。

世界をよりよくするには変化が必要です。国旗に描かれている「ダビデの星」は、変えないもの(守るもの)と変化させるものを表しているそうです。変化を怖がりません。

 

・変化を商機としてとらえることができる

「先が読めない」と考えている人が多いかと思います。怖がって動けなくなるのではなく、これをチャンスと捉えて動けるのが成功しているユダヤ人ではないでしょうか。たとえば、(失敗するかもしれませんが)facebookをメタという社名に変え、メタバースに注力するマーク・ザッカーバーグは、チャレンジャーであり、大きな成功の可能性を持っている気がします。

 

・枠組み(ルール)を変えたいと思っている

「ルールを変えたい」と願うユダヤ人経営者が多い印象があります。

 

社員が日常的に「どうすればゲームのルールを変えられるだろう。今まで誰も思いつかなかったようなやり方で、この目標を達成できないだろうか?」と自問自答するように鍛え上げなければならないのだ。

デルの革命 - 「ダイレクト」戦略で産業を変える (日経ビジネス人文庫)』より引用

 

・「疑問を持つ」「常に学ぶ」「何かに秀でる」という教育をされている

教育については、別の記事に書きます。

 

・国際的である

ユダヤ人は世界に散らばっているので、ネットワークがあります。また世界中を旅行し、見聞が広い人が多いです。「タイムマシン経営(たとえば、アメリカで流行っているものは数年遅れで日本で流行らせることができる)」で成功するというようなこともあるでしょう。

 

他にもたくさんあるのですが、とりあえずこの辺りで終わりにします。他の理由を知っている方はコメントしてくださると嬉しいです!

 

 

 

 

 

【本】『イスラエルとユダヤ人 考察ノート』佐藤 優

こんにちは! 星野陽子です(自己紹介)。

 

イスラエルユダヤ人 考察ノート』は、作家・元外交官主任分析官の佐藤優氏が、イスラエルユダヤ人から学んだ事柄について書いた論文とエッセイをまとめられた本です。

本には、ロシアとイスラエルの考察ノート、日本とイスラエルの考察ノート、イラン、シリア、北朝鮮の考察ノートなどが書かれていて、佐藤氏の情報量に圧倒されます。情報の取り方、分析や予測の仕方など、とても勉強になります。

 

元外交官で、日本の国益を深く考えられていることを知って、尊敬の気持ちを抱きました。

 

2009年の原稿には、イスラエル支持は日本の国益に資すると書かれています。

第1は、総論。日本と共通の価値観をもつ国家であるからです。

 

第2は、日本のインテリジェンス機能を強化するためにイスラエルと提携することが日本の国益に適(かな)うからだ。特にモサドイスラエル諜報特務庁)の人材養成術や分析法は秀逸なので、その成果をぜひとも日本の国益を増進するために用いるべきだ。

 

第3は、ロシアとの北方領土交渉との絡みだ。イスラエルの人口は約900万人であるが、その内、ユダヤ人は約670万人だ。その内、累計約100万人が1980年代以降、ソ連からイスラエルに帰還したユダヤ人だ。この人々の中に、エリツィン大統領本人、家族、側近と良好な人脈をもっているインテリジェンス工作のプロが多数いる。また、イスラエルの外務省、モサド、アマン(軍情報部)、ナティーブ(ソ連・東欧からユダヤ人を出国させるための秘密組織)には、優れたロシア情勢分析家がいる。イスラエルとの関係を強化して、正確なロシア情報を入手し、適切なロビー活動を大統領側近に対して行えば、北方領土交渉で日本にとって有利な状況を作り出すことができる。

 

第3の北方領土交渉は、エリツィンが大統領だったときにうまくやっていれば、もしかしたら……と悔やまれます。

 

佐藤氏は2002年に逮捕されました。2000年4月にイスラエルのテルアビブ大学が主催した国際学会に日本の大学教授らを派遣したときの費用を、外務省関係の団体「支援委員会」から支出したことが背任に問われたのです。

 

学会の後、ゴラン高原マサダの要塞を視察したのですが、その費用はテルアビブ大学が負担するという「招待」によるものでした。しかし、検察は、それは「遊び」だという見解を示したそうです。

 

私は「遊び」という検察の見解に疑問を抱きました。ユダヤ人にとって、マサダは特別な場所です。ユダヤ人を理解して欲しいと思えば、必ず訪れて欲しいというようなところなのです。私も最初にイスラエルを訪れたとき、当時はイスラエル人と結婚していましたが、元夫に「ユダヤ人を理解するためには絶対に行って欲しい所」としてマサダに連れていかれました。マサダはローマ軍から逃れた約1000人のユダヤ人が奴隷になるぐらいだったら死んだ方がいいと、集団自決した場所です。ユダヤ人は、その悲劇を忘れずに二度とイスラエルの土地を奪われないようしよう、という想いを強く持っています。「遊びに行く」という場所ではないかと思います。

 

hoshino-yoko.hatenablog.com

 

私が「佐藤氏はすごい」と思ったことのひとつは、極秘の「ロシア情報分析チーム」(佐藤グループ)というインテリジェンスに従事するチームがイスラエルに関心をもった理由です。それはロシアからの移民の情報が貴重だからです。

 

ロシアでは伝統的に大学、科学アカデミーなどの学者、ジャーナリスト、作家にはユダヤ人が多かったが、ソ連崩壊後は経済界、政界にもユダヤ人が多く進出した。これらのユダヤ人とイスラエルの「新移民」は緊密な関係を持っている。ロシアのビジネスマン、政治家が、モスクワでは人目があるので、機微にふれる話はテルアビブに来て行うこともめずらしくない。そのため、情報専門家の間では、イスラエルはロシア情報を得るのに絶好の場なのである。

 

佐藤氏はイスラエルの政府や研究機関との関係を深め、そこから得た情報や分析は、日本の北方領土外交に有益に活用されたとのこと。

 

私は旅行者として街の様子を見た時に、ロシアからの「帰還者」が多いという印象をうけました。イスラエルの建国(1948年)前から、ロシアからのユダヤ人がパレスチナの土地を買って移住しています。そして「キブツ」という共産主義の村のようなものを作って、農業をしたり、製品を作ったりしています。義理の父が持っていたビルの一階にロシア人向けスーパーが入っていて、そのスーパーの運営者と話をしましたが、そのお店の周りには、キブツに属していないロシア人がたくさん住んでいて、ロシア人地区のようになっているとのことでした。ロシアでこそこそ情報収集するより、イスラエルで情報収集した方が容易そうです。

 

キリスト教の知識に乏しい私があまり理解できなかったのは、キリスト教イスラエルの章です。佐藤氏はクリスチャンであり、同志社大学大学院神学研究科で神学研究をされています。クリスチャンの方にとっても、この本は学ぶところが多いかと思います。

マサダ Masada

https://en.parks.org.il/reserve-park/masada-national-park/

 

紀元前63年~紀元後313年、イスラエルの地(パレスチナ)はローマが支配していました。

 

マサダ死海近くの台形の山(高さ434メートル)の上に作られた要塞で、ローマ帝国ヘロデ大王が改修しました。

 

紀元後66年、ローマ帝国に対してユダヤ人が蜂起しました。

70年にはエルサレムと第二神殿が崩壊されました。967人のユダヤ人がマサダに立て籠もりました。マサダへは細い道が一本しかなく、崖を上っていくのがむずかしいため、ローマ軍は2年がかりで崖を埋めました。

 

73年にローマ軍は突入をしたのですが、ユダヤ人たちは奴隷になることを選ばず、集団自決していました。

70年のエルサレムと第二神殿の崩壊と、73年のマサダでのユダヤ人玉砕は、そのときから世界中に離散し、二千年後にイスラエルに戻ってきたユダヤ人にとって、忘れてはならないできごとです。

 

ユネスコ/NHKの動画でマサダを見ることができます。

 

私はロープウェイで赤ちゃんだった子どもを抱いて行きました。ヒールのある華奢なサンダルを履いていたため(マサダに行く予定がなかったので)、急な階段で転びそうになって冷や汗をかいたのが強烈な思い出です。

 

約1000人が2年も立て籠もり、どのような生活をしていたのだろうと、想像しながら見学しました。自決のことを考えると胸が痛くなります。